tajimi Street
ギンギツネの私的なブログ
2009.11.05
今日は先日付けたETCの確認も兼ねて、高速ドライブに出掛けた。
朝五時に起きて用意をし五時四十分出発。
中央高速、東海環状、東海北陸道を通り名神、中央高速で多治見に戻るという環状コースを考えた。
これなら千円で長距離ドライブが出来るからだ。
順調に東海北陸道まで走って行く、早朝は車も少なく快適である。
しかし、白鳥インターで雪のためチェーン装着との事……「えっ、もう雪かよ」と思ったが、どうしょうもない、道路公団の人の誘導で、ラジアルタイヤの私はUターン。
環状ドライブ終了。
しかし良い道だったので、またスタッドレスを履いて走りに来たいものだ。
帰りにぎふ大和Pで休憩、しかしまだ時間が早く、開いていない、缶ココアで暖まり帰路についた。
しゃくだったので国道363をオープンドライブ、今日はやけに寒い。
オープンにして見る風景とクローズにして見る風景は、どうしてこうも違うのだろう。
冷たい風が頬を刺すが、僅かな紅葉の中、田園風景を楽しみながらドライブ出来た1日だった。
朝五時に起きて用意をし五時四十分出発。
中央高速、東海環状、東海北陸道を通り名神、中央高速で多治見に戻るという環状コースを考えた。
これなら千円で長距離ドライブが出来るからだ。
順調に東海北陸道まで走って行く、早朝は車も少なく快適である。
しかし、白鳥インターで雪のためチェーン装着との事……「えっ、もう雪かよ」と思ったが、どうしょうもない、道路公団の人の誘導で、ラジアルタイヤの私はUターン。
環状ドライブ終了。
しかし良い道だったので、またスタッドレスを履いて走りに来たいものだ。
帰りにぎふ大和Pで休憩、しかしまだ時間が早く、開いていない、缶ココアで暖まり帰路についた。
しゃくだったので国道363をオープンドライブ、今日はやけに寒い。
オープンにして見る風景とクローズにして見る風景は、どうしてこうも違うのだろう。
冷たい風が頬を刺すが、僅かな紅葉の中、田園風景を楽しみながらドライブ出来た1日だった。
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2009.11.02
先日の火事から数日が経ち、色々な情報が入って来た。
火事がおきたのは、この辺りでは有名な、だだっ広いお屋敷の敷地内にある建物の一棟だった。
残念ながら、そこの娘さんが一人焼死されたました、御冥福申し上げます。
しかし火事は怖い、泥棒なら金品だけだけど、火事は根こそぎ奪って行く、財産だけでわない、信用も評判も無くすのだ。
この家も暫くは肩身の狭い思いをするのだろう。
お金持ちなら兎も角、私の家が火事になったらどうなるのだろう。
多分、焼け跡にテントを張って暮らすしかないだろう、ああ恐ろしい。
地震なら国が仮設住宅を建ててくれるだろうが、火事は自己責任なので焼き出されるだけだ。
気を付けねば。
火事がおきたのは、この辺りでは有名な、だだっ広いお屋敷の敷地内にある建物の一棟だった。
残念ながら、そこの娘さんが一人焼死されたました、御冥福申し上げます。
しかし火事は怖い、泥棒なら金品だけだけど、火事は根こそぎ奪って行く、財産だけでわない、信用も評判も無くすのだ。
この家も暫くは肩身の狭い思いをするのだろう。
お金持ちなら兎も角、私の家が火事になったらどうなるのだろう。
多分、焼け跡にテントを張って暮らすしかないだろう、ああ恐ろしい。
地震なら国が仮設住宅を建ててくれるだろうが、火事は自己責任なので焼き出されるだけだ。
気を付けねば。
2009.10.31
私が物音で目覚めたのは深夜三時半であった。
何か外で人の叫ぶ声がする。
そして、ディーゼルエンジンの音。
この辺は時たま、観光バスの集合場所になっているので「うるさいなー、また観光バスか、早く行けよ」と思ったが、何か様子がおかしい。
外を覗くと、消防隊が居る「……? えっ、火事??」
部屋の窓を全開にして見ると、真ん前の銀行の裏の建物から、モウモウと煙が出ている。
その建物の周りを、消防隊が慌ただしく走り回っていた。
しかし、見ているうちに、火は見えないし、これは鎮火しそうだったので、逃げる準備は止めて、カメラを持ち出し写しだした。
次の日、人に聞くと、市のサイレンや放送、消防車のサイレンがけたたましく鳴り響いていたというが、私は夢うつつで全く聞こえなかった。
もし、自分の家が燃えていたら、確実に逃げ遅れていただろう。
それにしても、この辺りは火事が多い、このブログを書き始めてから、もう5~6軒は焼けている。
逃げる準備をしとかなくては、と思いつつ2~3日も経てば忘れてしまうだろう。
火の用心、火の用心。
何か外で人の叫ぶ声がする。
そして、ディーゼルエンジンの音。
この辺は時たま、観光バスの集合場所になっているので「うるさいなー、また観光バスか、早く行けよ」と思ったが、何か様子がおかしい。
外を覗くと、消防隊が居る「……? えっ、火事??」
部屋の窓を全開にして見ると、真ん前の銀行の裏の建物から、モウモウと煙が出ている。
その建物の周りを、消防隊が慌ただしく走り回っていた。
しかし、見ているうちに、火は見えないし、これは鎮火しそうだったので、逃げる準備は止めて、カメラを持ち出し写しだした。
次の日、人に聞くと、市のサイレンや放送、消防車のサイレンがけたたましく鳴り響いていたというが、私は夢うつつで全く聞こえなかった。
もし、自分の家が燃えていたら、確実に逃げ遅れていただろう。
それにしても、この辺りは火事が多い、このブログを書き始めてから、もう5~6軒は焼けている。
逃げる準備をしとかなくては、と思いつつ2~3日も経てば忘れてしまうだろう。
火の用心、火の用心。
2009.10.29
朝起きると雨が降っていた。
「ワークにならないかな」などと考えながら、いつ電話が掛かってきてもいいように、携帯を近くに置きながら支度を始める。
残念ながら電話は無く、出勤。
雨の日は仕事が無い事が多いので、今日も雑用かと思ったが、こんな雨の日にも、生コンを打つ現場があり、配達に出掛けた。
合羽を着けて、完全装備で現場に到着すると、雨は小雨になっていた。
何かカラフルな色が目に入り、何だろうと思い、よく見ると人の頭だった。
鮮やかな金髪に染めたヤンキーにいちゃんが三人待っていた。
髪を染めている人は、どこの現場にもありふれているが、ここまで鮮やかなのは珍しかった。
少しして、ヤクザのような人相の悪い親方が現れ、にいちゃん達に指示をする。
にいちゃん達は、多分17~18位だろう、高校を卒業したばかりか、もしくは中退なのかもしれない。
先生の言う事など聞きそうに無いが、おっかない親方の言う事はよく聞くようだと感心した。
小雨の中、合羽も着けず泥だらけになり、働いているにいちゃん達に「頑張れよ」と、心の中で呟くのであった。
「ワークにならないかな」などと考えながら、いつ電話が掛かってきてもいいように、携帯を近くに置きながら支度を始める。
残念ながら電話は無く、出勤。
雨の日は仕事が無い事が多いので、今日も雑用かと思ったが、こんな雨の日にも、生コンを打つ現場があり、配達に出掛けた。
合羽を着けて、完全装備で現場に到着すると、雨は小雨になっていた。
何かカラフルな色が目に入り、何だろうと思い、よく見ると人の頭だった。
鮮やかな金髪に染めたヤンキーにいちゃんが三人待っていた。
髪を染めている人は、どこの現場にもありふれているが、ここまで鮮やかなのは珍しかった。
少しして、ヤクザのような人相の悪い親方が現れ、にいちゃん達に指示をする。
にいちゃん達は、多分17~18位だろう、高校を卒業したばかりか、もしくは中退なのかもしれない。
先生の言う事など聞きそうに無いが、おっかない親方の言う事はよく聞くようだと感心した。
小雨の中、合羽も着けず泥だらけになり、働いているにいちゃん達に「頑張れよ」と、心の中で呟くのであった。
2009.10.27
季節も秋になり、私が生コンの運転手になって10ヶ月が経った。
なぜこの仕事に就いたのか動機を述べてみたい
一年半前、私は事故で足を骨折してしまい、ブライダルカメラマンから足を洗った。
骨折は引き金であったが、本当の所は、潮時だと感じていたのだ。
確かに続けようと思えばまだ続けられたが、若く才能溢れる若者がどんどん出て来て、その写真の中に、自分には無い光るものを見てしまい、引退を決意したのだ。
風景やアート的な写真ならまだ行けるが、ブライダル写真はどちらかと言えば商業写真であり、一瞬一瞬の中に、新郎新婦の輝くばかりの姿を納めなくてはならない。
まさにリアルタイムで撮っていく商品撮影なのである。
多くの先輩カメラマンが、輝く一瞬よりも記録写真を撮る人が多く、私もその一人だったのだ。
確かに光る写真が撮れるときもあったが、出来上がりを見ると、何故か釈然としない自分がいる。
こう見えても、私は写真を見る目はあると自負する。
仕上がった自分の写真を見て、正直イマイチだと思ってしまう。
逆に新米カメラマンの写真に、これは良い、こんな撮り方があったんだと教えられる事もあった。
まっ、そこからまた勉強して行けば良いのだが、悪い事が重なり続けたのだ。
ブライダルの仕事の激減に加え、私の契約していたフォトライブラリーの会社が、五社とも次々に潰れてしまい、全く身動き出来なくなってしまったのだ。
最初は、色々アルバイトをしながら凌いだが、カメラマンが染み込んでいた私は、どこも長続きせず、どうにもならなくなり、失業保険で生活するようになった。
そこで、これではいけないと、職業訓練学校に入り、資格を取りながら職を探したのだ。
もう職をコロコロ変わりたくないので、まずはリサーチをした。
キツい仕事だと、すぐに辞めてしまうので、ネットで楽な仕事で検索すると、嘘か誠かいろいろあった。
次に、その仕事に就いている人のブログを探し出し読みながら、一つ一つ検証して行く。
その中から、自分の出来そうな仕事をピックアップして、辿り着いたのが生コンの運転手であった。
リサーチの甲斐があり、仕事は確かに楽で、自分の趣味や勉強を続けながらやるには、持って来いの仕事であった。
今のところ仕事を変わるつもり無いが、ただ、先の事は分からない。
生コンの運転手は楽な仕事であるはずなのに、どういう訳か人の出入りが激しいのだ。
私が入って10ヶ月の間に、40人位の人が辞めたり解雇され、また多くの人が入社した。
この事から、仕事が楽だから長続きするとは限らないという事だと分かった。
やはり仕事には、やりがいとか充実感が必要なのかもしれない。
確かに私がカメラマンだった頃、撮影で遅くなり、夜中を回る事も多々あったが、さほど嫌ではなかったのを思い出す。
そうは言っても、食って行くためには贅沢言ってられない。
兎に角、今やれる事をやるだけだ。
なぜこの仕事に就いたのか動機を述べてみたい
一年半前、私は事故で足を骨折してしまい、ブライダルカメラマンから足を洗った。
骨折は引き金であったが、本当の所は、潮時だと感じていたのだ。
確かに続けようと思えばまだ続けられたが、若く才能溢れる若者がどんどん出て来て、その写真の中に、自分には無い光るものを見てしまい、引退を決意したのだ。
風景やアート的な写真ならまだ行けるが、ブライダル写真はどちらかと言えば商業写真であり、一瞬一瞬の中に、新郎新婦の輝くばかりの姿を納めなくてはならない。
まさにリアルタイムで撮っていく商品撮影なのである。
多くの先輩カメラマンが、輝く一瞬よりも記録写真を撮る人が多く、私もその一人だったのだ。
確かに光る写真が撮れるときもあったが、出来上がりを見ると、何故か釈然としない自分がいる。
こう見えても、私は写真を見る目はあると自負する。
仕上がった自分の写真を見て、正直イマイチだと思ってしまう。
逆に新米カメラマンの写真に、これは良い、こんな撮り方があったんだと教えられる事もあった。
まっ、そこからまた勉強して行けば良いのだが、悪い事が重なり続けたのだ。
ブライダルの仕事の激減に加え、私の契約していたフォトライブラリーの会社が、五社とも次々に潰れてしまい、全く身動き出来なくなってしまったのだ。
最初は、色々アルバイトをしながら凌いだが、カメラマンが染み込んでいた私は、どこも長続きせず、どうにもならなくなり、失業保険で生活するようになった。
そこで、これではいけないと、職業訓練学校に入り、資格を取りながら職を探したのだ。
もう職をコロコロ変わりたくないので、まずはリサーチをした。
キツい仕事だと、すぐに辞めてしまうので、ネットで楽な仕事で検索すると、嘘か誠かいろいろあった。
次に、その仕事に就いている人のブログを探し出し読みながら、一つ一つ検証して行く。
その中から、自分の出来そうな仕事をピックアップして、辿り着いたのが生コンの運転手であった。
リサーチの甲斐があり、仕事は確かに楽で、自分の趣味や勉強を続けながらやるには、持って来いの仕事であった。
今のところ仕事を変わるつもり無いが、ただ、先の事は分からない。
生コンの運転手は楽な仕事であるはずなのに、どういう訳か人の出入りが激しいのだ。
私が入って10ヶ月の間に、40人位の人が辞めたり解雇され、また多くの人が入社した。
この事から、仕事が楽だから長続きするとは限らないという事だと分かった。
やはり仕事には、やりがいとか充実感が必要なのかもしれない。
確かに私がカメラマンだった頃、撮影で遅くなり、夜中を回る事も多々あったが、さほど嫌ではなかったのを思い出す。
そうは言っても、食って行くためには贅沢言ってられない。
兎に角、今やれる事をやるだけだ。
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