tajimi Street
ギンギツネの私的なブログ
台風15号、久しぶりに多治見にも被害が出た台風だった。
最初は精々強い雨程度だとなめていたが、高速道路のみならず一般道路も通行止が相次ぎ、多治見は孤立状態になってしまったのだ。
私は20日は仕事で岡崎へ行っていた。
行きは東海環状を通った、ちょっと強い雨が降ってはいたが、たいして気にもせず運転していた。
岡崎に着き、道路がプール状態になっているのに驚いた。
よほどの大雨が降ったのだろう、私は4トントラックだったので水を掻き分け難なく進めたが、乗用車は危なそうだった。
そして仕事も終わり帰りが大変だった。
高速道路が通行止らしいのだ、ラジオの道路情報を聞くと、東海環状は通行止、東名と中央高速も小牧ー多治見は通行止・・・これは困った。
仕方なく春日井から降りようと考え東名に乗った。
途中で(中央高速が通行止なら、19号線も渋滞だな)と考え、日進JCTから名古屋瀬戸道路に入り248号線で瀬戸から帰ることにした。
これが大正解だった。 後から分かったことだが19号線は通行止だったのだ。
瀬戸からもあちこち通行止があったが、なんとか3時間遅れで会社に到着できた。途中土砂崩れも何ヶ所かあり、台風の恐ろしさを感じた。
しかし、東海環状はすぐに通行止にするので困る、土砂崩れのためとか言っていたが、今日通って見た限り、土砂崩れなど無かったし、土砂崩れがあったら一日で復旧出来る訳もないが。
多分、安全の為だろうが、簡単に通行止にすると、他が大渋滞になって本当に困るのだ。
多治見市内は、あちこちに水没して動けなくなった車が散乱していた。
土岐川も一時期溢れそうになったが、なんとか溢れず助かった。 土岐川が溢れたら私の家も浸水していただろう。
多治見市内は、通行止で孤立していたので、意外と空いていて、閑散としていた。
兎に角、家も車も無事でよかった、神に感謝である。
とんでもない大災害がおき、私はブログ更新する気力も湧かなかった。
災害に遭われた方にお見舞い申し上げます。
東日本大震災の起きた日、私は配送を終え会社に戻り、トラックの中で日報を書いていた。
するとトラックがフワフワ揺れだした。
私は強風と勘違いして 「いやに風が強いなー」 と思っていた。 日報が書きづらい程の揺れで、結構長い時間揺れていた。 日報を書き終え、トラックを降りると、事務所の前に同僚が出てきていた、そこで初めて地震であった事を知った。
しかし、これと言って被害も無く、いつもの地震程度に思っていた。
それがこんなにひどい災害だったと知ったのは、かなり時間が経ってからだった。
地震に津波、原発事故・・・特に原発事故には驚いた。
一時は本当に危険な状態に陥っていてみたいで、ニュースを見るこちらまで緊張でドキドキしてしまった。
日本はどうなってしまうのだろうか、とも思えてしまった。
でも、勇敢なハイパーレスキュー、警官、自衛隊の命を賭けた活躍のおかげで、何とか乗り切ったみたいで、本当に感謝します。
特に放射能の恐怖と、いつ大爆発するか分からない最前線で活躍された尊い人達、「日本を救ってくれてありがとう」
一度も現場へ行かず、安全な場所から、偉そうに命令だけしていた、お偉方にはムカついたけど、まあそれはさて置き、私にも何か出来ることをしなくてはいけないなっと思う。
白い乗用車の前に、70代のお爺さんが倒れていて、運転手がオロオロと呼び掛けているが、お爺さんは、ピクリとも動かない。
周りには野次馬が集まり人だかりが出来ていた。
私は止まる訳にもいかず、通り過ぎたが、他人事ではない、何時自分が当事者になってもおかしくない。
その少し先で、スクーターと車の接触事故があった。
何かこの辺りに、悪い物が居るんじゃないかと、より慎重に運転し、通り抜けた。
運転手をしていると、たまに立て続けに事故に遭遇したり、取り締まりに遭ったりする。
そういう周期があるのではないかと考えてしまう。
また昨日も車とバイクの事故を見た。
ワゴン車の横に中型バイクが突っ込んだのだ。
ワゴン車の横が大きく凹み、バイクは無残に大破、救急車が行った後だったが、かなりの重傷か死亡したのではないかと思われる。
こういうのを見ると、バイク欲しい病が引っ込むのだ。
兎に角、無事故無違反を心がけたいものだ。
火事がおきたのは、この辺りでは有名な、だだっ広いお屋敷の敷地内にある建物の一棟だった。
残念ながら、そこの娘さんが一人焼死されたました、御冥福申し上げます。
しかし火事は怖い、泥棒なら金品だけだけど、火事は根こそぎ奪って行く、財産だけでわない、信用も評判も無くすのだ。
この家も暫くは肩身の狭い思いをするのだろう。
お金持ちなら兎も角、私の家が火事になったらどうなるのだろう。
多分、焼け跡にテントを張って暮らすしかないだろう、ああ恐ろしい。
地震なら国が仮設住宅を建ててくれるだろうが、火事は自己責任なので焼き出されるだけだ。
気を付けねば。
何か外で人の叫ぶ声がする。
そして、ディーゼルエンジンの音。
この辺は時たま、観光バスの集合場所になっているので「うるさいなー、また観光バスか、早く行けよ」と思ったが、何か様子がおかしい。
外を覗くと、消防隊が居る「……? えっ、火事??」
部屋の窓を全開にして見ると、真ん前の銀行の裏の建物から、モウモウと煙が出ている。
その建物の周りを、消防隊が慌ただしく走り回っていた。
しかし、見ているうちに、火は見えないし、これは鎮火しそうだったので、逃げる準備は止めて、カメラを持ち出し写しだした。
次の日、人に聞くと、市のサイレンや放送、消防車のサイレンがけたたましく鳴り響いていたというが、私は夢うつつで全く聞こえなかった。
もし、自分の家が燃えていたら、確実に逃げ遅れていただろう。
それにしても、この辺りは火事が多い、このブログを書き始めてから、もう5~6軒は焼けている。
逃げる準備をしとかなくては、と思いつつ2~3日も経てば忘れてしまうだろう。
火の用心、火の用心。