tajimi Street
ギンギツネの私的なブログ
カメラマン時代、私は車に寝泊まりしながら、山に籠もる事が多かった。
季節は夏、その日は御嶽山を写す為、麓の山中に入った。
朝焼けの御嶽山を撮るためのポイントを探し、暗くなって来たので泊まる場所を探す事にした。
御嶽山に行くといつも泊まる場所があるが、今日は違う所で泊まろうと思い、山を上がった。
山の中で車中泊するわけだが、これがなかなか怖い。
場所を決める基準は、兎に角、開けた見晴らしの良い場所、後は第一印象。
木が覆い茂った森の中は止める、何か悪い物が居そうだし、夜中に用を足しに外に出たとき、熊に喰われそうで怖いからだ。
細い道を抜けると、見晴らしの良い牧場のような所に出た、私はそこで泊まる事にした。
牧場の様だが牛の姿は無い、今は使われていないようだ。
広い丘を、ぬかるみに気をつけながら走り、なるべく車が水平になる場所を見つけ出した。
すっかり周りは暗くなり、遥か下界に町の灯りが綺麗に見える。
その場所は標高1000メートルを越える所にあるのだ。
車の外に出ると、夏だというのに肌寒い。
月が出ていて、辺りをぼんやり照らしている。
少し遠くを見ると、自分より低いところを、雲が流れて行くのが見える。
何か神秘的な雰囲気だ。
「んっ?」
見ると、流れている雲の一つが此方へ向かって来るのが見えた。
積乱雲になる前の、小さめの積雲だった。
どうみても、このままだと、この辺りにぶつかりそうだ。
そうこうしてる間に、積雲は、足元からぐんぐん迫ってくる。
遠くに見たときは、小さく見えたが、間近に迫ると、大きい事、大きい事。
積雲は、そのままぶつかって来た。
多分、私の立つ丘の上を、擦りながら通り過ぎて行ったのだろう。
積雲がぶつかった途端、視界はなくなり、濃い霧の中に入った感じだ、小雨混じりの強い風が吹き荒れている。
少しして、雲が通り過ぎると、また月夜にもどった。
呆然としながらも、迫力ある光景に、感動を覚え車に入った。
明日は早起きしなくてはならないので、まだ夜の9時頃だったが、寝袋に入り就寝した。
寝苦しさで目が覚めると、まだ12時を過ぎたあたりだった。
外を見ると、天気が崩れたのか、小雨が降っていた 。
「朝焼けの御嶽山は、無理だな」と呟き、寝袋に潜り込んだ。
暫くすると、悪夢にうなされ目が覚めた……
「体が動かない」
金縛りに掛かっていた。
金縛りは、過去に一度経験あったが、その時は病院のベッドの上で、周りには人が居た…が…ここは、人っ子一人居ない、深夜の山中、恐怖が私を襲う。
へたに外に意識を向け、何か居たら嫌なので、私は意識を中に向け、何かしなくてはいけないと思い、マントラを唱える事にした。
一心不乱にマントラを唱えていると、「コーン」という鳴き声と共に、金縛りが解けた。
「コーン」???
金縛りが解けて恐ろしい事が分かった。
私は自分の口を尖らせ、両手を孤の字に曲げ、まるで狐の様な格好をしていたのだ、そして「コーン」と鳴いたのも、紛れもなく私であった。
時計を見ると、まだ深夜2時、ここに居てはまずい、と直感した私は、車のエンジンをかけライトをつけた。
外はいつの間にか、深い霧に覆われ、数メートル先も見えない状況になっていた。
記憶を頼りに、入って来た細い道を探す、雨のせいで、ぬかるみが酷くなっていたので、注意をはらい、ゆっくり進む……しかし全く出口は見えない……
霧と闇の中、方向を間違えたらしい。
こうなると、どうしようもない、動けば動くほど迷うに決まっている。
霧は、一向に晴れる様子がないので、夜が明けるまで、動かず待とうかと思ったが、どうしてもこの場所に留まるのは嫌だった。
また、自分の意識を、乗っ取られるのではないかという恐怖感があったのだ。
普段の私は、熱心な信者ではないが、恐怖に包まれた私は、神に祈ることしか出来なかった、いや、祈らなければ、恐怖でおかしくなりそうだったのだ。
「神様、どうか出口を教えて下さい!」
そう、何度か祈り、何とか出口を探そうと、もがいていると、突然右前方の視界が開けたのだ。
それは、まるでモーセの十戒のように霧が割れて、出口まで霧のトンネルが続いていた。
しかし、それは一瞬の出来事で、またすぐに、辺りは霧に覆われ、車のライトも、ただ白い霧を映すだけとなった。
私は、しっかり目に焼き付けた出口の方向へ進んで行った。
百メートル程進むと、出口が現れた、もうそこからは一本道、五メートル先が見えれば降りて行ける。
そうして、いつも泊まる場所まで辿り着き、ホッと一息、ここには悪い気配は無く、安心して眠りについた。
目が覚めると、やはり天気は悪く、撮影を諦め、帰路についた。
しかし、あれはいったい何だったのだろう、狐が憑きかけたのか。
ともあれ、あれ以降、これといって変わった事も無く過ごしている。
私は、山に行くと、時たま不思議な出来事に出会う。
やはり山には、得体の知れない、何かが居る。
私はそれを、意志を持ったエネルギー体と呼ぶが、人によっては、精霊と呼んだり、妖怪と呼ぶのだろう。
何にしろ、まだ未発見の、新種の動物が居るように、未発見の意志を持ったエネルギー体が居ても不思議ではない。
また機会を見て書いていきたい。