tajimi Street
ギンギツネの私的なブログ
時間は昼近く、いつものように生コンの配達に出かけ、火葬場に差し掛かった時、手前の道路脇に、黒っぽいスーツを来た中年男性が立っていた。
葬儀場の人かと思ったが、目で見てない事に気付いた途端、その男性は消え去った。
その感覚には覚えがあった、以前霊柩車の横に、居るはずの無い人を見た時と同じ感覚であった。
それが霊なのかは分からないが、私の中の何かが、その場に残った残留思念のようなものを感じ、それを脳が映像に変え、見えたような錯覚をおこしたのかもしれない。
私は人と比べ、特に霊感が優れている訳ではない、普通の人と同じなのだが、普通の人が見えないのは、自分で自分の目にフィルターを掛けているからだと思う。
居るはずの無いもの、見えてはならないものが見えたら、社会生活に支障をきたすと判断して、自らフィルターを掛けているのだろう。
勿論、私も普段はフィルターを掛けている、明るいうちに見える分には問題ないが、夜中に見えるのは困るのだ。
深夜トイレに行く途中、ドアの隙間から恐ろしい顔が覗いていたら漏らしてしまうだろう。
そんな訳で、フィルターは必要なのだ、ただ時たまフィルターが外れた時に見えてしまうのだと思う。
カメラマン時代、私は車に寝泊まりしながら、山に籠もる事が多かった。
季節は夏、その日は御嶽山を写す為、麓の山中に入った。
朝焼けの御嶽山を撮るためのポイントを探し、暗くなって来たので泊まる場所を探す事にした。
御嶽山に行くといつも泊まる場所があるが、今日は違う所で泊まろうと思い、山を上がった。
山の中で車中泊するわけだが、これがなかなか怖い。
場所を決める基準は、兎に角、開けた見晴らしの良い場所、後は第一印象。
木が覆い茂った森の中は止める、何か悪い物が居そうだし、夜中に用を足しに外に出たとき、熊に喰われそうで怖いからだ。
細い道を抜けると、見晴らしの良い牧場のような所に出た、私はそこで泊まる事にした。
牧場の様だが牛の姿は無い、今は使われていないようだ。
広い丘を、ぬかるみに気をつけながら走り、なるべく車が水平になる場所を見つけ出した。
すっかり周りは暗くなり、遥か下界に町の灯りが綺麗に見える。
その場所は標高1000メートルを越える所にあるのだ。
車の外に出ると、夏だというのに肌寒い。
月が出ていて、辺りをぼんやり照らしている。
少し遠くを見ると、自分より低いところを、雲が流れて行くのが見える。
何か神秘的な雰囲気だ。
「んっ?」
見ると、流れている雲の一つが此方へ向かって来るのが見えた。
積乱雲になる前の、小さめの積雲だった。
どうみても、このままだと、この辺りにぶつかりそうだ。
そうこうしてる間に、積雲は、足元からぐんぐん迫ってくる。
遠くに見たときは、小さく見えたが、間近に迫ると、大きい事、大きい事。
積雲は、そのままぶつかって来た。
多分、私の立つ丘の上を、擦りながら通り過ぎて行ったのだろう。
積雲がぶつかった途端、視界はなくなり、濃い霧の中に入った感じだ、小雨混じりの強い風が吹き荒れている。
少しして、雲が通り過ぎると、また月夜にもどった。
呆然としながらも、迫力ある光景に、感動を覚え車に入った。
明日は早起きしなくてはならないので、まだ夜の9時頃だったが、寝袋に入り就寝した。
寝苦しさで目が覚めると、まだ12時を過ぎたあたりだった。
外を見ると、天気が崩れたのか、小雨が降っていた 。
「朝焼けの御嶽山は、無理だな」と呟き、寝袋に潜り込んだ。
暫くすると、悪夢にうなされ目が覚めた……
「体が動かない」
金縛りに掛かっていた。
金縛りは、過去に一度経験あったが、その時は病院のベッドの上で、周りには人が居た…が…ここは、人っ子一人居ない、深夜の山中、恐怖が私を襲う。
へたに外に意識を向け、何か居たら嫌なので、私は意識を中に向け、何かしなくてはいけないと思い、マントラを唱える事にした。
一心不乱にマントラを唱えていると、「コーン」という鳴き声と共に、金縛りが解けた。
「コーン」???
金縛りが解けて恐ろしい事が分かった。
私は自分の口を尖らせ、両手を孤の字に曲げ、まるで狐の様な格好をしていたのだ、そして「コーン」と鳴いたのも、紛れもなく私であった。
時計を見ると、まだ深夜2時、ここに居てはまずい、と直感した私は、車のエンジンをかけライトをつけた。
外はいつの間にか、深い霧に覆われ、数メートル先も見えない状況になっていた。
記憶を頼りに、入って来た細い道を探す、雨のせいで、ぬかるみが酷くなっていたので、注意をはらい、ゆっくり進む……しかし全く出口は見えない……
霧と闇の中、方向を間違えたらしい。
こうなると、どうしようもない、動けば動くほど迷うに決まっている。
霧は、一向に晴れる様子がないので、夜が明けるまで、動かず待とうかと思ったが、どうしてもこの場所に留まるのは嫌だった。
また、自分の意識を、乗っ取られるのではないかという恐怖感があったのだ。
普段の私は、熱心な信者ではないが、恐怖に包まれた私は、神に祈ることしか出来なかった、いや、祈らなければ、恐怖でおかしくなりそうだったのだ。
「神様、どうか出口を教えて下さい!」
そう、何度か祈り、何とか出口を探そうと、もがいていると、突然右前方の視界が開けたのだ。
それは、まるでモーセの十戒のように霧が割れて、出口まで霧のトンネルが続いていた。
しかし、それは一瞬の出来事で、またすぐに、辺りは霧に覆われ、車のライトも、ただ白い霧を映すだけとなった。
私は、しっかり目に焼き付けた出口の方向へ進んで行った。
百メートル程進むと、出口が現れた、もうそこからは一本道、五メートル先が見えれば降りて行ける。
そうして、いつも泊まる場所まで辿り着き、ホッと一息、ここには悪い気配は無く、安心して眠りについた。
目が覚めると、やはり天気は悪く、撮影を諦め、帰路についた。
しかし、あれはいったい何だったのだろう、狐が憑きかけたのか。
ともあれ、あれ以降、これといって変わった事も無く過ごしている。
私は、山に行くと、時たま不思議な出来事に出会う。
やはり山には、得体の知れない、何かが居る。
私はそれを、意志を持ったエネルギー体と呼ぶが、人によっては、精霊と呼んだり、妖怪と呼ぶのだろう。
何にしろ、まだ未発見の、新種の動物が居るように、未発見の意志を持ったエネルギー体が居ても不思議ではない。
また機会を見て書いていきたい。
口裂け女はいつの時代にも必ずある怪談話しだ。
私の時代の話しはこうだ。
ある女が男にふられ頭がおかしくなり精神病院に入れられた、女はカッターナイフで自分の口を切り裂いた、そして夜な夜な白いマスクを着けて病院を抜け出して出没する、人を見つけると 「私綺麗?」と訊ねる 不気味に思い 「綺麗」 と答えるとマスクを外し、大きく切り裂かれた口を開けて 「これでも綺麗かー」と叫んで襲ってくるという。
あれは私が高校生の時、余り真面目ではなかった私は、個室のある友人宅でよく深夜まで遊んでいた、その日も深夜一時過ぎまで遊び、歩いて自宅へ帰る途中、寂れた商店街に差し掛かった。
田舎町であるこの辺りは深夜になると人っ子一人居なくなる。
ふと前を見ると向こうの方から自転車が一台近づいてきた、こんな深夜に珍しいなと思い、乗っている人を見て息を呑んだ。
白い服をきた髪の長い女の口が耳まで真っ赤に裂けていたのだ………
心臓ドキドキだったが、何か違和感を感じ、もう一度よく見ると、それは中学生位の男の子が白い服を着て、カツラを被り、顔を真っ白に塗り、絵の具か何かで口を描いていたのであった。
固まっていた私はかなり怖い顔で睨んでいたと思う。
向こうも怖がったかもしれない、人相の悪い自分より大きな男がえらい勢いで睨んでいるのだから。
そして口裂け女ならぬ口裂け男は、そのまま止まりもせず走り去っていったのだ。
いったい何だったのだろう、人を驚かしたかったのか、罰ゲームだったのか? 今となっては知る由もない。
これはまだ私が中学生の頃の話し。
学校の怪談が流行った、まあいつの時代でも一時期流行るものだ。
どこどこの学校ではこんな怪談がある とかいう話しで盛り上がっていた。
その一つにy小学校では誰もいないはずのピアノが鳴り、そして学校裏のトイレの奥から二番目が出るらしい…
今から思えばよくある話なのだか、当時はわくわくドキドキして聞き入っていた。
そのうち行ってみようという事になり友人と三人で行ったのだ。
y小学校のピアノは体育館にポツンと置いてあった、四時近くの学校はまだ人も居て不気味さは感じない、当然ピアノは鳴らなかった、じゃあトイレへ行こうという事になり校舎の裏にポツンと建っているトイレに向かった。
トイレはもう使われてなく廃墟となっていていた、水洗トイレが校舎の中に出来たので、外の汲み取りトイレは廃止になったのだ。
廃墟と化したトイレがいかにも出そうな雰囲気を醸し出していた、夜中だったら怖くてとても入れなかったが、まだ四時だったので入ってみた。
中もボロボロで、所々に穴が開き埃が積もっていた。
大をする方は五つ列んでいた、まだ夕方というのにかなり不気味で、とてもじゃないがこんな所で用をたしたいとは思わない。
三人ともヘッピリ腰で進み、奥から二番目のドアの前に立った。
顔は引きつり心臓はドキドキである。
友人に突っかれ私は思い切ってドアを開けた……ヒーーーッ……
中には何も居なく普通のトイレであった、ホッとしながらそそくさと外に出た…
その後体育館の裏で暫くたむろしていた、五時を過ぎると人も少なくなった。
三人バラバラになり校庭を探索した、もちろん部外者なので校舎には入らなかったが。
私は体育館の裏をフラフラしていた、するとピアノの音が聞こえた…ん?と思い体育館の中を覗いた、ピアノは入り口から見ると奥の左に置いてあった。
フフフ、笑っちゃうけど誰も居なかったよ。
この音に関しては高校の時も体験した、私は陸上部だった、たまに遅くなる日もあり、その日部活が終わった頃は外はもう真っ暗だった、皆帰り私が最後に学校を出る事になった。
そして体育館の横を通った時、中からバスケットボールを付く音が聞こえたのだ、誰か残っているのかと思い中を覗くが暗くてよく見えない、闇に目が慣れたのでもう一度良く見るが誰も居ない・・・気のせいかと思い帰ろうとするとまたボールを付く音が聞こえる・・・すぐ中を見るがやはり誰も居ない・・・
今、当時を思い返し、よく考えてみると、やはり耳から聞こえた訳ではなかった、精神で聞いたと思う。
人が居たわけではないので、物質的な音ではなく、そこに残っていた場の記憶みたいなものが聞こえたのではないか。
昼間、生徒が体育や部活で動いていたエネルギーが残ってしまったのではないだろうか。
人は体と心と魂で出来ている、魂は永遠で人が死ぬと創造主の許へ帰る、体は腐り土へ帰る、心は暫らくその場に思いだけが残り、それもだんだん薄くなり消えていく。
私自身は幽霊は居ないと思う、しかし精霊の様な存在は居ると信じている、森や山には自分の意思で行動するエネルギー体が居る、それが精霊だと思う。
また機会があれば、この超常現象のカテゴリーに書いていきたい。
世の中には摩訶不思議な事がある、超常現象などと書くと胡散臭いが 科学がまだそこまで到達していないと考えればあるはずだ。
実際 現在の科学はまだまだ未完成で 大宇宙のほんの一部・・・どころか 人間の体の事さえ完全には解明できていない、いや 解明できていない事の方が多い。
脳が未知である事は知られているが 胃腸も未知である、食物が熱やエネルギーまた血肉に変わる。
簡単に言えば 米が肉になる・・・・・世界中のどんな優秀な科学者も米を肉に変える事は出来ない、それを全く学の無い人間が普通に行っている。
世界中の科学者が集まって 人間を分析しても その成分から人間を創る事は出来ない・・・・・でも全く無教養な男女が簡単に生命を創ってしまう・・・・・
このような事実を見る限り、人類の科学は大宇宙から見れば まだヨチヨチ歩きの赤ん坊であろう、だから 今現在 そんな事は有り得ないと思う事も この先解明されて行くはずだ。
たとえば心霊現象、私は幽霊がいるのかどうかは 判断できない、しかし人には意思が有る事は分かる、人が死んで その意思が残留思念として残るのか・・・死んだ事は無いので分からないが、居るはずのない人を見た事はある。
夕方の葬儀場であった、私は用があり 自分の車で葬儀場へ行き霊柩車の近くに車を停めた、そしてふとバックミラーを見ると霊柩車の横に礼服を着た中年男性が立っていた、んっ と思い振り返ると誰も居ない、私は車から降り霊柩車の周りを探したが中にも周りにも人は居なかった・・・
そしてよく思い返すと それを視力で見たのでは無いと気付いた、目で見たのではなく 脳で見たのだ、残留思念という奴だったのか? もう一度バックミラーを見るが 何も見えなかった。
この他にも色々体験した 面白い所ではUFOを見た事がある、友人知人とかではなく 私自身が見たのだ、これは脳ではなく視力で見た、また機会が有れば書いて行きたい。