tajimi Street
ギンギツネの私的なブログ
2009.10.02
私は、高校卒業した後、芸大を受けたのだが、余りにも不真面目だった私は、落ちてしまったのだ。
面接官が、こんな髪の毛を染めた、目つきの悪い奴は入れたくないと思ったのだろう。
仕方ないので次の年、東京の写真専門学校へ行く事にした。
当然、車もバイクも置いて行くしかなかった。
貧乏学生だった私の移動手段は、電車バスで、原付さえ買う余裕は無かった。
写真学校を卒業した後、カメラマンの助手やバイトをして、東京には6年住んでいた。
色々な事情により、私は多治見へ帰る事にした。
帰って見れば、車もバイクも無くなっていた。
車は廃車、GX400は駐車場で車にぶつけられ廃車、DTー1は盗まれて無くなっていた。
仕方ないので、知り合いの車屋から、ボロボロの軽を10万円で買い、通勤に使っていたが、やはり何か物足りない。
そこでまたバイクを買う事にした。
しかし6年のブランクが有るので、乗りやすいスクーターにしようと、バイク屋巡りをした。
そこで目に付いたのが、ホンダのフュージョンだった。
250ccで車検も無く、後部はトランクになっており、荷物も積める。
値段は高かったが、気に入った私は、新車で買ってしまった。
買ってみると、コイツが想像以上良く走り、便利だったので、ほぼ毎日、通勤やツーリングに使った。
雨の日も、大きなシールドのおかげで、楽だった。
真冬はさすがに辛かったが、オートマチックなので、悴んだ手でも乗れたのだ。
しかし、ある出来事で事情が一変した。
弟と、その友人が限定解除を取り、750ccのバイクに乗り私の前に現れたのだ。
こうなると私も、大型バイクに乗りたくて仕方がなくなった。
知らなければ、フュージョンで満足していたのに、欲とは恐ろしい。
さっそく教習所に通ったが、当時は今とは違い、限定解除はとても難しい試験だった。
6~7回落ちるのは当たり前、中には10回20回と落ちる人も居た程、難しかったのだ。
私は7回目でやっと受かったのを、覚えている。
ここから私は、バイク欲しい病に感染したのだった。
写真は拾い物、私の乗っていたフュージョンと同じ色を探した。
面接官が、こんな髪の毛を染めた、目つきの悪い奴は入れたくないと思ったのだろう。
仕方ないので次の年、東京の写真専門学校へ行く事にした。
当然、車もバイクも置いて行くしかなかった。
貧乏学生だった私の移動手段は、電車バスで、原付さえ買う余裕は無かった。
写真学校を卒業した後、カメラマンの助手やバイトをして、東京には6年住んでいた。
色々な事情により、私は多治見へ帰る事にした。
帰って見れば、車もバイクも無くなっていた。
車は廃車、GX400は駐車場で車にぶつけられ廃車、DTー1は盗まれて無くなっていた。
仕方ないので、知り合いの車屋から、ボロボロの軽を10万円で買い、通勤に使っていたが、やはり何か物足りない。
そこでまたバイクを買う事にした。
しかし6年のブランクが有るので、乗りやすいスクーターにしようと、バイク屋巡りをした。
そこで目に付いたのが、ホンダのフュージョンだった。
250ccで車検も無く、後部はトランクになっており、荷物も積める。
値段は高かったが、気に入った私は、新車で買ってしまった。
買ってみると、コイツが想像以上良く走り、便利だったので、ほぼ毎日、通勤やツーリングに使った。
雨の日も、大きなシールドのおかげで、楽だった。
真冬はさすがに辛かったが、オートマチックなので、悴んだ手でも乗れたのだ。
しかし、ある出来事で事情が一変した。
弟と、その友人が限定解除を取り、750ccのバイクに乗り私の前に現れたのだ。
こうなると私も、大型バイクに乗りたくて仕方がなくなった。
知らなければ、フュージョンで満足していたのに、欲とは恐ろしい。
さっそく教習所に通ったが、当時は今とは違い、限定解除はとても難しい試験だった。
6~7回落ちるのは当たり前、中には10回20回と落ちる人も居た程、難しかったのだ。
私は7回目でやっと受かったのを、覚えている。
ここから私は、バイク欲しい病に感染したのだった。
写真は拾い物、私の乗っていたフュージョンと同じ色を探した。
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