tajimi Street
ギンギツネの私的なブログ
なぜこの仕事に就いたのか動機を述べてみたい
一年半前、私は事故で足を骨折してしまい、ブライダルカメラマンから足を洗った。
骨折は引き金であったが、本当の所は、潮時だと感じていたのだ。
確かに続けようと思えばまだ続けられたが、若く才能溢れる若者がどんどん出て来て、その写真の中に、自分には無い光るものを見てしまい、引退を決意したのだ。
風景やアート的な写真ならまだ行けるが、ブライダル写真はどちらかと言えば商業写真であり、一瞬一瞬の中に、新郎新婦の輝くばかりの姿を納めなくてはならない。
まさにリアルタイムで撮っていく商品撮影なのである。
多くの先輩カメラマンが、輝く一瞬よりも記録写真を撮る人が多く、私もその一人だったのだ。
確かに光る写真が撮れるときもあったが、出来上がりを見ると、何故か釈然としない自分がいる。
こう見えても、私は写真を見る目はあると自負する。
仕上がった自分の写真を見て、正直イマイチだと思ってしまう。
逆に新米カメラマンの写真に、これは良い、こんな撮り方があったんだと教えられる事もあった。
まっ、そこからまた勉強して行けば良いのだが、悪い事が重なり続けたのだ。
ブライダルの仕事の激減に加え、私の契約していたフォトライブラリーの会社が、五社とも次々に潰れてしまい、全く身動き出来なくなってしまったのだ。
最初は、色々アルバイトをしながら凌いだが、カメラマンが染み込んでいた私は、どこも長続きせず、どうにもならなくなり、失業保険で生活するようになった。
そこで、これではいけないと、職業訓練学校に入り、資格を取りながら職を探したのだ。
もう職をコロコロ変わりたくないので、まずはリサーチをした。
キツい仕事だと、すぐに辞めてしまうので、ネットで楽な仕事で検索すると、嘘か誠かいろいろあった。
次に、その仕事に就いている人のブログを探し出し読みながら、一つ一つ検証して行く。
その中から、自分の出来そうな仕事をピックアップして、辿り着いたのが生コンの運転手であった。
リサーチの甲斐があり、仕事は確かに楽で、自分の趣味や勉強を続けながらやるには、持って来いの仕事であった。
今のところ仕事を変わるつもり無いが、ただ、先の事は分からない。
生コンの運転手は楽な仕事であるはずなのに、どういう訳か人の出入りが激しいのだ。
私が入って10ヶ月の間に、40人位の人が辞めたり解雇され、また多くの人が入社した。
この事から、仕事が楽だから長続きするとは限らないという事だと分かった。
やはり仕事には、やりがいとか充実感が必要なのかもしれない。
確かに私がカメラマンだった頃、撮影で遅くなり、夜中を回る事も多々あったが、さほど嫌ではなかったのを思い出す。
そうは言っても、食って行くためには贅沢言ってられない。
兎に角、今やれる事をやるだけだ。
この仕事に就いて初めて月曜日が憂鬱になった。
今までは、嬉しくは無いものの、「さあ、明日から頑張るか」位に思っていたのが、昨日は「明日行きたくないな」などと思ってしまった。
出勤してしまえば、いつも通りなのだが。
今日は某大会社の、工場内の工事現場へ行った。
何せ広い会社なので、正門で待ち合わせ、しかし時間になっても全く来ない…
守衛室が有るので、勝手に入る訳にはいかない、車を降りて、正門から中を覗くと、向こうの方から現場の人らしき人が、「こっちこっち」と手を振っているのが見えたので、中に入って到着した。
現場は一輪車取りで、若い兄ちゃん二人の一輪車に生コンを入れると、元気よく運んで行く。
中盤に差し掛かったとき、生コンを一輪車に入れていると、一輪車がひっくり返り、親方が「こらー、ちゃんと一輪車を持っとかんかー」と若い衆を怒鳴る。
何か日常の風景の様に微笑ましく感じる。
夕方、会社へ戻る途中、田園風景の中を走っていると、夕日に照し出された田んぼの稲が、金色に輝いているのが見えた。
そう、私の周りの田や畑が夕日に照らされ金色に輝いているのだ。
それを見た途端、私は多幸感に包まれ、運転手になって良かったと思ったのだ。
残業になったが、何処かへドライブに行ったような、良い日であった。
事務所で現場の地図を貰うと、地図に狭いと書いてあった。
狭い現場はよくあるので、またかと思いながら四トン車で出発。
現場に着くと…「な・なんじゃこりゃー」
狭いなんてもんじゃない、左のミラーを畳むが、まだ通れない、仕方ないので右も畳む、ミラーを畳むと両横が見えないので、勘で進しかない、これが全く不安である。
隙間は2~3センチ、困っていると現場の人がやって来て、誘導してくれ、何とか現場到着。
「こんな狭い所に、よく家など建てるな」などと思いながら着ける。
「こんにちはー」と降りて行くと…一輪車二台の周りに、70前後の爺さんが5人待っていた・・・・・老人会???
一輪車になるべく少な目に入れると、爺さんはヨロヨロと運び出す。
皆高年齢なので、仕事がゆっくりしている、(・・・遅い・・・)全然生コンが減って行かない。
「これは、又超過時間で揉めるか」と思い始める。
だが、私が手伝う事は出来ない、事故、怪我、破損が起きた時、自費になるからである。
ノロノロと仕事している様を、向こうの方で見ていた、50代の監督が見かねて手伝い出した。
凄いパワーで、爺さん達の3倍の速さで運んで行く、おかげで時間内に終り、超過時間を貰わずに済んだ。
帰りがまた狭い。
来る時は現場の人が誘導してくれるが、帰りは勝手に帰ってくれ、状態なので、冷や汗を掻きながら何とか脱出。
もう二度と、この現場には来たくないと思い帰社。
今日も無事一日が終わった。
もうすぐ4連休だ、これと言って予定も無いが、またコペンで、オープンドライブでも行こうと思う。
かなり時間の掛かる現場で、終わった頃には時間オーバーになっていた。
JIS規格に、生コンは90分以内に降ろさなくてはいけないという、決まりがあるらしいのだ。
時間を超えると、超過時間となり、別料金がかかる。
会社に無線を入れると、「責任者に時間貰って来て」と言われ、私はそれらしい人を探して「超過時間になるので、時間ください」と声を掛けた。
「俺は分からんから、あの人に言って」と言われ、見るとゴッツいブラジル人だった。
「そうか、ここはこのブラジル人が親方なんだ、建築現場もどんどん外人が仕切るようになるのかな?」
などと考えながら声を掛けた。
「すいません、超過時間になったので、時間ください」
と伝票とペンを渡そうとすると。
「何が超過時間だ、ふざけるんじゃないよ…」
突然カタコトの日本語で怒り出した。
言葉はこんな感じだが、90キロ級の外人が、間近で激怒しているので、凄い迫力だ、正直、頭からバリバリと喰われてしまうんじゃないかと思った程だった。
手が着けられないので「会社に電話して下さい」と言い車に戻った。
その後の事務所の様子から、踏み倒されたのが分かった、恐るべし、異人親方。
次の現場に着くと、黒人2人が待っていた。
「ここもか…」
しかし、ここの黒人2人はとても愛想が良く、仕事もテキパキ終わった。
「黒人も日焼けするのかな?」
などと考えながら帰社するのだった。
最近は帰宅する時、コペンをオープンにして帰る、オープンにするだけで、ただの仕事帰りが、ドライブに変わる。
日も暮れて涼しくなり、気持ち良い風を受けながら走れば、一日のストレスが軽減していく。
これで何とか、バイク欲しい病をやり過ごしているのだ。
今日仕事で現場に行くと、生コン車の汚水箱にトンボが止まっていた。
汚水箱とは、生コンを降ろし終わった後、ドラムや羽、シュートを洗うとき、生コン混じりの水が出る、その汚水を回収する箱の事だ、これが無いと道に汚水が流れ苦情が来るし、環境破壊にもなる。
今、汚水箱の付いてない生コン車は殆んど無いと思う。
トンボは汚水箱に付いている水を飲んでいるようだった・・・・・よく見ると、頭と胸だけで、腹から下が無い、でも胸に付いている足で箱に止まり、一生懸命水を飲んでいた。
残り少ない命が見え、可哀想で放っておくしかなかった。
仕事が終り、生コン車を洗い、会社に帰る前にもう一度見ると、まだ箱に止まっていた、洗ったときの水でトンボは水浸しになっていた。
このまま蓋を閉めて帰れば、間違いなくトンボは汚水箱の底に沈む事が分かっていたので、道路脇の草むらに放してやろうと羽を掴まえると、残りの命を振り絞ってトンボはバタバタ暴れだした。
「分かった分かった」と言いながら、トンボを脇の草むらに放す、トンボは草に摑まり飛んでいく気配は無い。
「汚水箱の底で死ぬより、草むらで死んだ方が良いよな」
そんな事を考えながら車に戻った。
夕焼けを眺め、壊れたトンボを思い浮かべながら帰社するのだった。